こんにちは、ハナです。
6月12日、ショックなニュースがありました。
シンガーソングライターの森田童子さんが亡くなられたそうです。
森田童子さんが歌うドラマ『高校教師』の主題歌『ぼくたちの失敗』はあまりにも有名ですが、彼女の正体はあまり明かされず。
ドラマを見ていた当時にはとても気になったものです。
では今回は、森田童子さんの亡くなられた原因や病気、生前までの活動や本名などを調べてみました。
森田童子さんの顔画像やプロフィール
本名:不明
生年月日:1952年1月15日
出身:東京都
森田童子さんの経歴
森田童子さんは、東京出身で高校時代に東京教育大学の学生運動と交流があったといいます。
ですが、高校は中退。
以後、自由な生活を送りますが、1972年20歳の時に森田童子さんは、1972年に友人が亡くなられたことをきっかけに歌いはじめられます。
その出来事を元にした曲『さよならぼくのともだち』で1975年10月にシングルデビュー。
つづいて、アルバム『グッドバイ』も発売されます。
その後合計8枚のアルバム、7枚のシングルを発売。
そしてこのころには、ライブハウスを中心に活動もされていたそうです。
ですが、1983年に活動を休止。
それ以後は公には出なかったようです。
ところが、1993年に突然脚光を浴びます。
それが、テレビドラマ『高校教師』の主題歌に使用されたことです。

『高校教師』とは、『家なき子』や2018年夏ドラマ『高嶺の花』の脚本を書かれた野島伸司さんが脚本を書き、真田博之さんと桜井幸子さん演じる先生と生徒の切なく重い恋の物語です。
その禁断の恋、そしてさまざまな社会的タブーを扱ったドラマは当時とても話題になりました。
その時に使用された『ぼくたちの失敗』は、ドラマの内容もさることながら、多くの人の胸を打つことになりました。
ドラマが流行っていた時の音楽ランキング番組では、こちらのように白黒で森田童子さんが歌う映像が流れていました。
歌う姿や声がとてもやわらかく切なかったのを覚えています。
そして『高校教師』の辛い恋が思い出されます。
話はそれましたが、それをきっかけに全国的に森田童子さんの名前が知れ渡りますが、すでに引退されていることに加え、元々実生活が見えない方だったことこともあり、森田童子さんの本名やなどは現在まで分かっていません。
その後も取材には応じていなかったようです。
森田童子さんは病気があった?死因は?
そんな森田童子さんが亡くなられたというニュースが流れました。
それによると、亡くなられたのは2018年4月24日。
亡くなられた時の年齢は66歳でした。
この訃報は、日本音楽著作権協会(JASRAC)の会報に、訃報が掲載され公表。
ですが、死因などは明らかにされていません。
その後の報道で「心不全」と明かされました。
66歳、まだまだ若いですよね。
それまで病気をお持ちだったか調べてみましたが、有力な情報は見当たりませんでした。
ですが、2010年5月の朝日新聞の取材では、
近しい人物の死去による精神的ショックと、自身の持病により活動が困難な状況である
とされており、森田童子さんが持病を抱えていらしたことがわかりました。
その持病は何だったのかはわかりませんが、それが原因とも考えられます。
森田童子さんは結婚していた?
私生活が謎めいていた森田童子さんですが、結婚はされていたのでしょうか。
調べてみると、ドラマ『高校教師』の主題歌として使用され、ブームが訪れた時の取材で、専業主婦をされていたことが明かされました。
ですので、結婚し旦那さんがいたことが分かります。
しかし、旦那さんについての詳細なことはわかっていません。
31歳あたりで活動を休止されているので、このあたりに結婚されたのか子供をもたれたのかと思われます。
森田童子さんの現在の活動は?
森田童子さんは、1983年に引退していますが、その後はどのような活動をされていたのでしょうか。
気になって調べてみたところ、引退後には音楽活動はされていなかったようです。
ドラマ『高校教師』の主題歌で人気が出た時の取材では『音楽活動を再開する気は全くない』と話されていたとのことです。
1983年までに作られた楽曲がドラマや映画に使用され、再びCDが発売されても、活動を再開されていませんでした。
ですので、一般人として家族とともに過ごされていたと思われます。
とても素晴らしい歌を歌われているのに、活動をされていないのはもったいないことだと思いましたが、それがさらに森田童子さんの謎を深め魅力的にうつるのかもしれません。
おわりに
今回はシンガーソングライターの森田童子さんについて書いてきました。
私もドラマ『高校教師』をリアルタイムで見ていましたが、ドラマの内容はさることながら森田童子さんの歌声に心を奪われていました。
アルバムを買って車の中で何度も聞いたものです。
そして今でも時々鼻歌で歌っています。
今回の訃報を聞きショックでしたが、これからも変わらず歌っていこうと思います。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。