こんにちは、ハナです。
2018年4月3日に悲しいニュースが入ってきました。
北海道でのラジオパーソナリティの日高晤郎さんが亡くなられたそうです。
日高晤郎さんは、「北海道のやしきたかじん」といわれるほど、北海道では絶大な人気を誇っていました。
今回は、日高晤郎さんの突然の死去の死因や病名、そして経歴を調べてみました。
日高晤郎さんのプロフィールと経歴
初めに日高晤郎さんのプロフィールをご紹介します。
日高 晤郎(ひだか ごろう)
本名:細谷 新吾
生年月日:1944年2月28日
没年齢:74歳
出身:大阪市東成郡天王寺村山王
職業:芸人、ラジオパーソナリティ、歌手、俳優
16歳だった高校生の時に参加した「第1回ミス・ミスターフレッシュフェイスコンテスト」で優勝を飾り、大映京都撮影所演技研究所に入所。
翌年には、「細谷新吾」の本名で映画デビューを果たされました。
市川雷蔵さんと勝新太郎さんを師匠に持ち、数々の映画に出演。
ですが、1965年には、活動の場をテレビに映すために芸名を「飛鷹一」に変えて上京しますが、鳴かず飛ばずの日々を経験されます。
その間には、弾き語りやクラブのボーイをして日銭を稼いでいたそうです。
そして、1967年には、歌手デビュー。
この時に芸名を「日高吾郎」に変え、その後10枚のレコードを発売されました。
その後1969年に、師匠であった市川雷蔵さんの死去に衝撃を受け、歌手をやめ、俳優、レポーター、声優などの活動に力を入れるようになられました。
STVラジオの日高晤郎さんの看板番組『ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー』は、1983年4月からスタート。
35年間にわたり、歯にきぬ着せぬ語り口で多くの北海道市民に愛され、高聴取率を記録していたようです。
日高晤郎さんが死去
日高晤郎さんは、2018年4月3日の朝に死去されました。
日高晤郎さん亡くなった…#goroshow pic.twitter.com/ZXN5QchrmS
— 最北乃風@リニュ実施中 (@SHINZI39_hkd) 2018年4月3日
まだネットニュースでは流れていませんが、北海道のテレビ番組で報道されたようです。
そして、後に「日高晤郎ショー」が放送されていたSTVラジオから訃報がお知らせされました。
STVラジオ「ウィークエンドバラエティ 日高晤郎ショー」(毎週土曜8時放送)パーソナリティ 日高 晤郎(ひだか ごろう)さんが病気療養中のところ悪性腫瘍(脂肪肉腫)により4月3日 午前10時48分 永眠いたしました。享年74でした。
心から哀悼の意を表しますとともに、生前に賜りましたご厚誼に感謝し、謹んでお知らせ申し上げます。日高晤郎さんは1978年34歳の時にSTVラジオの番組を担当して以来、40年間に渡ってSTVラジオの看板パーソナリティとして活躍されてきました。1983年39歳の時にスタートした「ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショー」では歯に衣着せぬ語り口が人気を呼び、以来35年間に渡って毎週9時間の生放送を続けてこられました。
今年に入ってから悪性腫瘍(脂肪肉腫)が見つかり、通院をしていましたが、本人の強い意思により、先月までステージの司会進行、番組出演などを精一杯こなしてこられました。しかし、今朝から容態が急変し、今日午前、帰らぬ人となりました。
株式会社STVラジオ
3月26日の「日高晤郎ショー」のブログでは、「明日への贈り物 Part3. ]とういうイベントに参加されていて、「晤郎さん帰ってきたよ」という言葉とともに、日高晤郎さんの元気な姿が公開されていました。
休養を取られていたにもかかわらず、踊ったり歌ったりと楽しく過ごされているようでした。
しかし、この後には、ドクターストップもかかったそうです。
そして、3月31日のブログでは、再び入院加療でお休みされることが報告されていました。
数日前までは、元気に動くことができたようですね。
それだけに、今回の訃報はあまりにも突然の出来事でした。
日高晤郎さんの死因や病名は?
#日高晤郎 #STV@okaguchik @8bit_HORIJUN
亡くなられた、ご冥福を。 pic.twitter.com/lEeDSWO8Vs— 武者小路夢千代@タマノフ (@musya_yumetiyo) 2018年4月3日
では、日高晤郎さんが死去された死因や、生前患われていた病名は何だったのでしょうか。
明確な死因は現在のところ発表されていませんが、日高晤郎さんは悪性腫瘍のため亡くなられたことがわかっています。
また、STVラジオからの訃報のお知らせでは『脂肪肉腫』という病名が明かされています。
『脂肪肉腫』とは、
脂肪を含んだ細胞が悪性化したと考えられている悪性腫瘍
ということで、高分化型脂肪肉腫、粘液型脂肪肉腫、多形型脂肪肉腫、脱分化脂肪肉腫という4つの種類にわかれますが、この順で悪性度がたかくなるそうです。
日高さんがどの種類だったかは分かりませんが、今年に入ってから悪性腫瘍が見つかり、初めてラジオを休んだのが2月3日でした。
その時には、精巣腫瘍の手術と、腹水を抜いたそうです。
発見から亡くなられるまでの期間が短かく、悪性だった可能性は高そうですね。
日高晤郎さんの死去に対する世間の反応
日高晤郎さんの突然の死去に対し、多くの方がショックを受けている様子がうかがえます。
2004年から16年まで北海道に住んでた時、土曜に休日出勤すると工場から流れていたのは日高晤郎ショーでした。
出張中のクルマでもラジオで晤郎ショー聴いてたり、土曜日の昼間の声として、自分の中での習慣となっていました。
ご冥福をお祈り致します。
— Y∀SU@4.7・8・17 東京ドーム (@thistle_430) 2018年4月3日
日高晤郎さん亡くなったんだ…。子どもの頃からなんとなくラジオ聴いてたからショックだわ。先週のラジオ、声が違うねってダンナと話してたんだよね。ご冥福をお祈りします。
— mechaco (@merumama1102) 2018年4月3日
え…日高晤郎さん亡くなったんだ…ショック…
— まふゆ (@naki_mshi) 2018年4月3日
えっ…日高晤郎ショー聴けないの悲しすぎるんですけど…突然過ぎて追いついていけない
— ふう (@hu_mao11_54) 2018年4月3日
毎朝聞いていたラジオの中の方が亡くなられるのは、とても寂しいですね。
心からご冥福をお祈り申し上げます。